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2009年2月17日 (火)

本を持って部屋にとじこもろう

仕事で疲れたので、日本語の本を読んでみた。「MD(ミニディクショナリー)現代文小論文」、今は亡き高校の現代文の先生が薦めてくれた本である。タイトルから分かるように、大学受験の為の本であり、辞書である。この中に入試問題キーワードというコーナーがあって、これが実は自分のお気に入りで、今日もまた読んでみる。「止揚/揚棄/アウフヘーベン」「演繹/帰納」等々、懐かしいなと思ったり、未だに分かってなかったり、そんな事を考えながら読んでいると「共生」というなんともインパクトに欠けた言葉が出てきた。

引用しますね。(と書けば、著作権の違反はなくなるのだろうか)

解説

まさに「共に生きる」とうことだが、本来なら対立する立場に立ちそうなもの同士が相互に存在を認め合うというイメージを持つ。「人間」と「自然」、「女性」と「男性」、「民族」と「民族」等、様々な「共生」のあり方がある。

出題例

空欄ABに入るものを選べ。

「子供」はまずなによりも小さく、未完成かつ未熟で、社会の規格や規律からこぼれ落ちてしまう猥雑な存在である。次にどういう行動をとるのか、なかなか予測がつかない野生の思考者である。規律や静かな秩序を求める厳格な大人から「子供」が嫌悪されるのはそのためである。映画監督でいえばヴィスコンティやベイルマンといったまじめな監督たちは「子供」を好まない。あらかじめ計算しておいた空間や時間が、「子供」の意表を突く野生の行動によって乱されたくないためであるし、彼らの世界が完成された美しさによって律せられているため、その均整のとれた美を「子供」のような猥雑な暴れ者に乱されたくないからである。

 これに対して好んで「子供」のアンバランスな肉体を映像世界の中に取り入れようとしているのはフェリーニである。サーカスや、大女や小人たちがうごめく祝祭空間を誰よりも愛するフェリーニは、「子供」の一人や二人が画面の中に入り込んできても少しも驚かない。その不協和音の不意打ちを逆に楽しんでしまい、「子供」も小人や大女と同じ自分の祝祭空間の主人公にしてしまう。ヴィスコンティやベイルマンが【A】の論理によって計算された美的世界を守ろうとするのに対し、フェリーニは【B】の論理によって「子供」の意表を突く行動を自分の世界に吸収してしまうのである。

(川本三郎「都市の感受性」甲南女子大学)

1.映像 2.共生 3.連続 4.肉体 5.未知 6.排除

出題例を読んでいて、二行目の「なかなか予測がつかない野生の思考者」という表現ににたにたしながら、後半になるにつれて、あっ!これはYNOの文章じゃないかと考えながら読んでしまった。という訳で僕は【A】に共生 【B】に未知を選んだ。

YNO以外の論理=共生の論理 YNOの論理=未知の論理

完璧だ!1ミリもずれのない解答。なんてったってディスクユニオンでのYNOのジャンルは「未知のジャンル」だったじゃないか。

ところが解答を見ると、違うではないか。解答【A】排除 【B】共生

な馬鹿な話があるわけないだろう、YNOの論理が共生の論理である訳がないだろう、俺には未知の論理なんだと思いつつ、未だに現代文に頭が上がらない私です。そういえば先日NHKのプロフェッショナルという番組で、とある考古学者の特集をしてましたが、彼曰く、「自分の論理を捨てて、遺跡が語る事に忠実に耳を傾ける」事が大事なんだとか。

大人に好かれる思考をしなくては!ちなみに冷静に考えるとYNOは「共生」が導く「未知」だな。

(無戒サレジ)

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